HOME >  記事

2007年4月30日

ソ連兵士銅像撤去移動をめぐり、タリン在住のロシア系住民が暴動

1940年、エストニアはソ連により侵略を受け不法に併合されたが、以来50年、 ソ連兵として前線で戦うことを余儀なくされたり、国民の大半がシベリアに抑留 され多くがそのまま帰らぬ人となっていることは世界に広く知られた事実である。 そのエストニアの首都タリン市のトゥニスマギ(Tonismagi)公園(現在の国立図 書館前)に1945年、12人の第二次世界大戦で戦ったソ連兵の棺が埋められた。そし て、1947年9月22日には同じ場所にソ連兵の銅像 が建てられた。

2007年1月、エストニアが旧ソ連の復活を願う勢力が兵士像の前で集会などをして内政に影響を与えているとして タリンの中心地にあるソ連軍兵士の銅像を撤去し、静かな軍 人墓地に移転させる計画を発表。これに対しロシアのミロノフ上院議長は、「エストニアは、ナチス・ ドイツから開放し、第二次世界大戦で犠牲となったソ連の兵士を愚弄し、歴史的な 過ちを犯そうとしている」と言明。ロシアは欧州各国や旧ソ連構成諸国に「記念碑の撤去と ソ連兵士の遺骨移転は両国関係に深刻な打撃となるだろう」と声明文を送った。そ れ以来ソ連軍をナチス・ドイツのファシズムから救った「解放者」とするロシア系住民と、不幸な時代を思い 出させるとするエストニア人との間で、意見が二分していた。 関連記事

4月には、エストニア外務省より撤去移転に関する 声明文が発表されていたが、4月26日夜、ロシア系住民約1000人が銅像の 周辺に集まり、周囲の商店のウィンドウを割り、商品を略奪するなどの暴動を起こした。これによりロシア人一人が死亡、多くの負傷者、逮捕者を 出した。暴動はソ連兵銅像移動の真意や戦死者に対する弔いの念とはかけ離れた、 単なる破壊や略奪に走っているとし、当初5月に撤去移動を決めていた政府は、今後 の市民の安全を守るために急遽銅像を撤去することにした。 負傷者の多くは割られた商店のウィンドウのガラスによる怪我が多かった。死亡者の 証拠収集、原因究明は続けられている。騒ぎは翌日まで続いたが、28日終息した模様。

エストニア外務省はモスクワのエストニア大使館に対する安全の確保を依頼したにも かかわらず、攻撃が増していることに遺憾の意を表している。30日にはロシア国会代 表団がタリンに到着する。

真相は、下記エストニア外務省ホームページに紹介されている。エストニアのTV局 Channel2の映像も見ることが出来る。

エストニア外務省のサイトを見る
ロシアのニュースサイトKOMMERSANTを見る
イギリスBBCのニュースページを見る
フィンランドのニュースサイトHELSINGIN SANOMATを見る。 英語版
YouTubeでエストニア放送ETVを見る


2007年4月30日

スウェーデン外務大臣の支援に感謝

Paetエストニア外務大臣は30日、「絶え間ぬ支援と理解、そして的確な援助の手を差し伸べてくれる 隣国に感謝し、敬意を表する」とBildtスウェーデン外務大臣に感謝の辞を述べた。 これに対してスウェーデン外務大臣は、タリン市で起こった出来事に対し遺憾の意を述べ、 エストニアは自体を自力で収拾できると確信しているとも付け加えた。 ラトビア、リトアニアはすでに支援を表明しており、27日同じく感謝の辞を述べている。

2007年5月1日

ロシア国会議員代表団エストニア到着後

エストニア側はロシアとの平和的な話し合いを準備し、ロシア国会議員代表団の到着を待った。 しかしロシア側は話し合いを無視、エストニア国会代表らとの外務省での合同記者会見をも拒否し、  その代わりに閉鎖されたロシア大使館前での記者会見を要求した。

  Paetエストニア外務大臣は欧州連合(EU)代表のSteinmeierドイツ外務大臣に、電話で モスクワのエストニア大使館の安全支援を要請した、これに対しSteinmeier代表は支援を約束した。 またPaet外務大臣は、ロシア側が民主的に選ばれたエストニア政府の 退陣要求突きつけ内政干渉をしていると告げた。

  兵士の遺骨掘削に関して、ロシア大使館がオブザーバーとして名前を挙げてもらうようエストニア側は 公式に依頼したが、ロシア側はこれを拒否していたため、ロシア議員代表団はTonismagiを訪問することは 予定に入っていなかった。ロシア代表団の態度は単なる選挙キャンペーンだとして非難し、Paet外務大臣ほか エストニア側はすべて代表団と会うことを拒否することを決定した。

  エストニア外務長官への訪問を認め、モスクワの在ロシアエストニア大使館の安全について話している間に 在ロシアエストニア大使館で、エストニア国旗がずたずたに引き裂かれた。

  エストニア外務大臣声明を発表。
ロシアはエストニアの内政干渉をしている。ロシアがエストニアを攻撃していること、 すなわちEUを攻撃していることになる。エストニア大使館が襲撃され、職員が人質となっている。 警察の安全対策も完全ではなく、これはウィーン条約に違反している等、強い形で述べた。 また、2日9時までにエストニア大使館の安全が確保されなければ、エストニア人への領事業務 以外すべての業務を休止するとも述べた。

2007年5月2日

在ロシアエストニア大使襲撃さる

2日、Marina Kaljurand在ロシアエストニア大使が、大使館を包囲していた群集の中をぬって 記者会見会場に向かったところ、記者会見室で襲われた。ガスも使用されていたもよう。 暴漢は外に停められていた大使館の車にも危害を加え、車に取り付けられていた国旗を引き裂いた。 現役の大使が襲われたのは前例がない。エストニア外務大臣はロシアの外務大臣に電話で抗議した。

  同日、エストニア外務大臣は欧州連合議長国である代表、ドイツ外務大臣とモスクワで起こっている エストニア大使館関連事項について話し合った。Steinmeierドイツ外務大臣はEUがエストニアを支援し続けることを 約束、EUトロイカ((現、次期議長国外相、EU理事会事務総長/CFSP上級代表、欧州委員会対外関係 担当委員の間で開催される政治分野を対象とした協議の枠組み。現在はドイツ、ポーランド、欧州委員会の構成。) はモスクワのロシア当局に対し、エストニア大使館の問題を解決に努力するよう求めた。

2007年5月4日

経済への影響

ロシアの主だった商業チェーンの店頭からエストニア商品が消え、エストニアとロシア間の経済関係は悪化 の一途を辿っている。缶詰からアルコール類まで約250のエストニア商品を販売してきた、大手ストアSedmoi Kontinentは28日にそれらの販売を控えると発表した。また、エストニアはロシアへの物流の起点ともなってい たので、両国の冷たい関係はロシアのビジネスに爪あとを残しそうだ。 エストニアでは、暴動の写真を使って広告も登場している。 ユーモアが好きな国民とはいえ、日本ではとても考えられない動きであることは確かだ。

エストニアで出た広告を見る

12遺体発掘完了

5月2日、国防省での記者会見で、Tonismagiに埋められていた12のソ連兵士の遺体がすべて良い状態で掘り起こされ たことが発表された。関連する文書などは発見されなかった。遺体はカールリ教会側に2列並んで埋まっており、顔は自由広 場に向けられていた。遺体は検死所に持ち込まれ、DNA鑑定される。エストニア共和国はロシア連邦にこの結果を報 告し、赤十字を通して身内かもしれないと思い当たる節のある人を募る予定。ソ連兵の銅像はすでに軍人墓地に移 動されている。
発掘が終わったTonismagiは5月半ばまでに整地され、遺体は6月末までに軍人墓地に埋葬される予定。