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1993年以降、世界的に有名な「エストニアフィルハーモニック室内合唱団」の演奏を担当。
楽団員は全て、他のオーケストラやアンサンブルから招待を受けるほど実力のあるソロ
演奏家が揃っている。ミラノ・バッハ・カンタータ・フェスティバル(1996,1997)
ブレーメン音楽祭(1998)、ハダース・フィールド現代音楽祭(1998)、
東京オペラシティ公演(2000年)に参加。
Estonia Tallinna Filharmonia 所属
2005年日本公演の記事はこちらから
1939年エストニア、タリン生まれ。ピアニストの母親を持ち音楽環境に恵まれて育ったエリ・クラスは、幼い頃より音楽に興味を抱きヴァイオリンを学んでいた。その後、エリ・クラス音楽のゴッドファーザーと言われるDavid Oistrakhに勧められ、指揮者の道を歩みだした。1964年タリン音楽院を卒業後レニングラード音楽院でNikolai Rabinovichに師事、オーケストラの指揮法を学び、1969年モスクワのボリショイ劇場で首席客演指揮者となった。1965年からエストニア国立オペラの指揮者を勤め、1975年首席指揮者となる。30年以上に及ぶ国立オペラでの活躍と旧ソ連下にあったエストニア国立オペラの危機を救ったエリ・クラスは1994年エストニア国立オペラの名誉指揮者及び名誉芸術監督となる。フィンランド国立オペラを始め世界130以上のオーケストラを指揮し、ペルト、シュニトケ、トゥビンなどのエストニア作曲家の作品を世界に広める為に大きな役目を果たすと共に、北欧各国から名誉ある賞を数多く受賞している。
1922年1月エストニア、タリン生まれ。エストニアを代表する作曲家の一人。1946~51年タリン音楽院にて
Mart Saarの元で作曲法を学び、さらに1954年までモスクワ音楽院でVissarion Shebalin
に師事。以後1984年まで母校タリン音楽院で音楽理論の教鞭をとる(1977年から助教授)。1999年、
EAM(Estonian Academy of Music and Theatre)から
名誉博士号が贈られた。
繊細さと力強さが兼ね備わったエステル・マギの音楽はジャンルや演奏形態を越えて
様々な形で演奏されるが、中でも室内楽の作品が比較的多い。クリアで簡潔なフォルム、
宙を舞うような質感、非常に繊細なその音色、エステル・マギの表現方式の特徴はそこにあります。
マギのインスピレーションの源はエストニアの古くから伝わる民族音楽。
作品の中では様々な形で伝統的なモチーフが使われている。
マギの作品を聴いた人々から演奏する人々まで、すべての人が心の安らぎを覚える
その音楽作品の持つエレガントさや慎ましやかさを高く評価している。それがエストニア音楽界の
「First Lady」として広く尊敬されている所以である。
マギの作品は世界各国でも広く演奏されている。Neeme Jalvi, Eri Klas, Peeter Lilje,
Roman Matsov, Paul Magi といったエストニアの指揮者だけでなく、Nikolay Alexeev や
Emin Khachaturianなども指揮している。
5年ごとに行われる「歌の祭典」はじめ多くの全国音楽祭でも、当然ながらマギの合唱作品が
広く歌われる。
写真は2004年の「歌と踊りの祭典」での民族衣装を身に着けたエステル・マギ女史。
1975年エストニアの首都タリン生まれ。
4歳の頃からヴァイオリンを始め、近所の人たちをそのあまりにも激しい練習量で苦しめたのだという。
90年初頭から世界の伝統音楽、とりわけアイルランドの伝統音楽の虜となったティトは
94年にエレクトリック・ヴァイオリンを手にし、以降それが彼のメインの楽器となった。
95年から96年まで隣国フィンランドの名門シベリウス・アカデミーに学んだが、同窓生からの情報によると、
授業に熱心に参加するよりも毎晩のようにスタジオにこもり、自分の音楽を追及し続けていたらしい。
現在エストニア国内ばかりではなく、海外の映画やTVやラジオの音楽の制作を担当し、
プロデュースしたりアレンジを手がけた作品がノミネートしたり、ワールドミュージックの
チャートに3ヶ月以上もチャートインするなど、その活躍は目覚しい。
2002年のユーロヴィジョンコンテストでは、インターバルの音楽を担当した。
アカデミーで学んだ一番大事なことは「インディペンデントになること」「レコーディングにすべての
過激なアイディアを注ぎ込むこと」だそう。
彼が本当に目指した自らの姿だといえる、まったく一人でヴァイオリンだけで制作した初の
ソロアルバム
「ストリング・セオリー」は こちらで購入できる。