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エストニアの世界遺産

  • 「タリン歴史地区」


  • Vana Tallinn 1997年文化遺産に登録。
    1219年、11世紀頃から築かれたエストニア人の砦を占領したデンマーク人が、トームペアの丘に城を築きました。 このことから、「Taani Linn(タリン=デンマーク人の城、町)」と呼ばれるようになり、その後、デンマーク人 の城を中心に発展したのが旧市街です。旧市街は山の手と下町に分かれるが、下町はドイツ商人が築き、ハンザ同 盟都市として発展しました。街を取り囲む城壁や教会、ハンザ商人たちの住居、市庁舎などが当時のままの姿で残 されています。旧市街にある通りの多くには様々な伝説が残っていて、今も人々の間で言い伝えられています。

    この世界遺産は世界遺産登録基準のうち下記が当てはまるとされ登録されました。
    (2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザイン の発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
    (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。

    世界遺産公式サイトを見る

  • シュトゥルーヴェの測地弧


  • 2005年三国一斉に世界文化遺産に登録。
    ドイツ出身のロシアの天文学者フリードリッヒ・ゲオルグ・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーヴェが中心となって、 1816年から1855年にかけて設置された三角測量点群。地球の大きさなどを正確に測る上で多大な貢献をした。ノルウェー から黒海まで、バルト三国含め10カ国が一斉に世界文化遺産に登録された。エストニアはタルト市郊外にある。

    この世界遺産は、世界遺産登録基準のうち下記が当てはまるとされ登録されました。
    (2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
    (3) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠。
    (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。
    (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。

    エストニアのシュトゥルーヴェ観測地を見る。7ページに写真あり。
    各地の観測地を見る

  • 歌と踊りの祭典


  • Laulvaljuak UNESCO第2回人類の口承および無形遺産の傑作の宣言(2003年11月)で「キフヌ島の文化空間」 とともに世界無形遺産に選ばれました。
    エストニアでは合唱祭はタリン市郊外の野外ステージ「歌の原(Lauluvaljak)」で、民族舞踊は普段はサッカーなどが行われる「競技場」 で5年ごとに行われます。最近は2004年に行われました。 ソ連侵攻時に国外に難を逃れた人々を含め、国内外から集まったエストニア人、2万~3万人からなる合唱団がステージに上り、一斉に第二の国歌とされる「わが祖国、わが愛( Mu isa maa on minu arm)」を歌う姿は壮観で、2000年にNHKのドキュメンタリー番組「地球に乾杯」で放送され、日本の人々にも 大きな反響を呼びました。ソ連下にあった1989年の「歌の祭典(Uldlaulupidu)」では、1941年のソ連支配以来初めてエストニア語で歌い、 民族独立へ大きな一歩を踏み出しました。これが「歌う革命」と呼ばれ、その後ラトビア、リトアニアと広がり、 1991年の再独立とつながっていきました。
    次回は2009年に開催されます。

    2009年の歌と踊りの祭典オフィシャルホームページを 見る
    2004年の歌の祭典フォトギャラリーを 見る
    UNESCO第2回人類の口承および無形遺産の傑作の宣言を見る
    Lauluvaljakのホームページを見る
    2004年のMu isamaa on minu armの映像をYou Tubeで見る

  • キフヌ島の文化空間


  • UNESCO第2回人類の口承および無形遺産の傑作の宣言(2003年11月)で「歌と踊りの祭典」とともに世界無形遺産に選ばれました。 パルヌ沖に浮かぶキフヌ島。人口500人ほどの小さな島だが、本土で失われつつあるエストニアの伝統文化を大切にして人々は 生活しており、「生きたエストニア文化博物館」と呼ばれています。

    キフヌ島の紹介文を見る